【保育の現場から】朝の会「呼ばれたい名前」で教室がざわついた日

Hinano
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子どもたちと保育士たちとの心温まるふれあいの日々。
忙しい日常に、ほっこりしたひと時をお届けできればうれしいです。

朝の会は、毎日ちいさなドラマの開幕

朝の会は、保育園の一日の“点呼”であり、“気持ち合わせ”でもあります。
出欠を取って、今日の流れを伝えて、季節の歌をうたって。
大人から見れば安定運行の時間なのですが、子どもたちにとっては「自分がどう見られているか」を試す場でもあり、時々、思わぬ方向にドラマが転がります。

この日のドラマは、「名前呼び」から始まりました。
「〇〇くん、おはよう」
「はーい!」
いつも通りのやり取りが続く中で、年中クラスのAくんが、いつもより一拍置いてから手を挙げたのです。

「Aくん」じゃない。今日は「Aさま」らしい

「Aくん?」と私が呼ぶと、Aくんは真顔で訂正しました。

「きょうは、Aさま、ってよんで」

教室が、ざわっ。
ざわつき方が、なんとも言えません。
笑いたい気持ちが先に立つ子、意味がわからず首をかしげる子、「それ、いいな」と目を輝かせる子。
もちろん私も、心の中では一瞬だけ「Aさま…!」とツッコミましたが、ここは保育現場。
いったん受け止めるのが仕事です。

「なるほど。今日は“さま”なんだね。どうして?」

と聞くと、Aくんは少し誇らしげに、こう言いました。

「きのう、でんしゃでね。おみせのひとが“おきゃくさま”っていってた。ぼくも、おきゃくさま、だった」

そうか、Aくんは“敬称”を発見したのです。
しかも「お客さま=すごい」くらいの価値づけまでセットで。
子どもは、言葉の意味を辞書で覚えるのではなく、体験で覚えます。
昨夜の電車とお店が、今日の朝の会につながったわけです。

広がる「呼ばれたい名前」ブーム

問題は、ここからでした。

「じゃあ、Bちゃんも、Bひめ!」
「ぼくは、Cせんせい!」
「わたしは、Dちゃんじゃなくて、Dちゃん・スーパー!」

次々に飛び出す“呼ばれたい名前”。
朝の会が、一気に“名付け大会”になっていきます。
私の頭の中では、予定していた歌と当番発表が、だんだん遠ざかっていく音がしました。

でも、こういう時に無理やり元に戻すと、子どもたちの「言葉で世界を広げたい熱」がしぼんでしまうことがあります。
だから私は、少しだけ寄り道することにしました。
寄り道は、保育の醍醐味でもあります。

保育士の「線引き」は、遊びを止めないためにある

ただし、どこまでも自由にすると、収拾がつかなくなる。
ここが難しいところです。
そこで、私はルールを一つだけ足しました。

「呼ばれたい名前は、今日の朝の会だけ。あと、お友だちが嫌な気持ちになる名前はナシね」

すると子どもたちは、「じゃあこれならいい?」と自分で考え始めます。
“先生に言われたからやめる”ではなく、“みんなで気持ちよくやるために調整する”。
この経験は、意外と大きいのです。

そして私は、落ち着いた声で、改めて言いました。

「じゃあ、いくよ。Aさま、おはようございます」
「はーい!」

Aくんは、胸を張りました。
まるで本当に、今日だけの王様みたいに。

最後に一人、すごい要求をしてきた子

ひと通り呼び終えて、さあ歌へ…というタイミングで、年長のEちゃんが手を挙げました。

「せんせい。わたしのことは、Eちゃん、じゃなくて」
「うん、どう呼ぶ?」
「“Eちゃん(こころのとも)”って、ここまで言って」

ここまで言って、の圧。
私は一瞬たじろぎましたが、Eちゃんの目が本気だったので、腹をくくりました。

「Eちゃん(こころのとも)、おはよう」
「ふふっ」

満足そうな笑顔。周りの子も、なぜか少し嬉しそうに笑います。

この“(こころのとも)”に深い意味があるかは、正直わかりません。
たぶん昨日見たテレビか、絵本か、頭の中で生まれた言葉の組み合わせでしょう。
でも、子どもが言葉を使って「自分の気分」を表現しようとしている。
その事実だけで、十分に面白いし、愛おしい。

おわりに

名前呼びは、ただの点呼ではありません。

「私はここにいる」
「私はこう扱われたい」

そういう気持ちが、時々ぷくっと膨らんで表に出てきます。

この日は、予定より少しだけ朝の会が長くなりました。
けれど、教室の空気は不思議とやわらかく、子どもたちの目がよく動いていました。
言葉の実験をして、周りの反応を見て、笑って、調整して。
小さな社会がちゃんと回っていたのです。

そして最後に、私がいつもの締めを言うと、Aくんが小声で付け足しました。

「…でも、きょうだけね。あしたは、Aくんでいいよ」

あしたは、Aくん。
今日だけの“さま”体験に、ちゃんと区切りをつけられるところが、なんとも年中さんらしい。
保育園の朝は、こんなふうに、名前一つで世界がふくらみます。
毎日が、ちいさな発見の連続です。

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