【保育の現場から】ベビーカーの中で、いちばんよくしゃべる子

Hinano
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子どもたちと保育士たちとの心温まるふれあいの日々。
忙しい日常に、ほっこりしたひと時をお届けできればうれしいです。

出発前から、もう会話は始まっている

0歳児クラスのお散歩は、靴を履く前から始まっています。

帽子をかぶせると、すっと目をそらす子がいます。


「あ、今日は気分じゃないのね」と、こちらも声のトーンを変えます。

ベビーカーに乗せると、急にご機嫌になる子もいます。

自分の指定席に座っただけで、満足そうに口を結ぶのです。

その日、Mちゃんはベルトを留めた途端に、私の顔を見ました。

そして、唇をとがらせて「うー」。

まだ言葉にはならないのに、ちゃんと「出発の合図」みたいな声です。

私は思わず返事をしました。

「うー、だね。行こうね。」

ベビーカー隊の「見てる会話」

歩き出すと、0歳児クラスは途端に静かになります。

眠くなるからではありません。

見たいものが多すぎて、口より目が忙しくなるのです。

Mちゃんは最近、つかまり立ちが増えてきた頃の子です。

部屋の中でも、棚に手をかけて「いける」と顔に書いてあります。

そんな子がベビーカーに乗ると、足がもぞもぞ動きます。

体が「歩きたい」と言っているのに、景色が「見なさい」と言ってくる。

その葛藤が、足先に出ていて可笑しいのです。

曲がり角に近づいたとき、Mちゃんが急に上体を少し起こしました。

そして、前方をじっと見て「んっ」。

短い音で、何かを知らせています。

私は目線の先を追いました。

猫が一匹、塀の上を歩いていました。

「猫さん、いたね。」

そう言うと、Mちゃんは口を大きく開けて、もう一度「んっ」。

今度は少し高い。

「見つけた」の報告は、声の高さで分かります。

角を曲がったら、世界が変わった

0歳児クラスのお散歩は、同じ道でも毎回違います。

大人は「いつもの道」なのに、子どもは「今日の世界」を歩いています。

風が強い日、葉っぱの音が主役になります。

工事の音がある日、目がまんまるになります。

パン屋さんの前を通る日、急に全員が落ち着いた顔になります。

匂いの力は、年齢に関係なく強いのです。

その日は信号の音がよく響く日でした。

「ピヨピヨ」という音が遠くから聞こえます。

Mちゃんはその音に合わせるように、口をぱくぱくさせました。

そして、音が近づいた瞬間に「ぴっ」。

真似のつもりか、参加のつもりか。

どちらにしても、本人は真剣です。

隣のベビーカーのKくんも、急に乗り出しました。

Kくんは最近、手をひらひらさせるのが得意になってきた子です。

誰かに向けてというより、気持ちが高ぶると手が踊るタイプです。

信号が青になった音に合わせて、手がひらひら。

まるで「さあ、行きますよ」と指揮しているみたいでした。

私は笑いをこらえて、小声で言いました。

「指揮者さんがいるから、安心だね。」

すれ違う人に、笑顔が配られる

0歳児クラスの散歩は、こちらが思っている以上に人を巻き込みます。

すれ違う方が、必ずと言っていいほど覗き込みます。

「かわいいねえ。」

その一言で、空気が少し明るくなる。

これが0歳児の得意技です。

その日も、犬の散歩中のご近所さんが立ち止まりました。

小型犬が尻尾を振って、ベビーカーに近づきます。

Mちゃんは犬を見た瞬間、目を見開きました。

そして、口をぎゅっと結んでから、そっと手を前に出しました。

指先だけが少し開いて、ためらいのある挨拶です。

犬は嬉しそうに鼻を近づけました。

Mちゃんは、ほんの一瞬だけ触って、すぐに手を引っ込めました。

そのあと、私の顔を見て「うぇ」。

私は思わず言ってしまいました。

「今の、勇気出したねえ。」

ご近所さんが笑いながら言いました。

「触れたね。えらいえらい。」

褒め言葉が、散歩道に落ちていく感じがしました。

帰ってきたら、眠いのに目が冴える

園に戻ると、0歳児クラスは一気に電池が切れます。

けれど、すぐに寝るわけではありません。

外で集めた刺激が、体の中でまだ渦を巻いているからです。

Mちゃんも、部屋に入って抱っこすると、肩に顔をこすりつけました。

眠いのに、さっきの猫と犬と信号が、まだ目の奥に残っている。

そんな顔です。

私は背中をゆっくりさすって言いました。

「今日はいっぱい見たね。」

するとMちゃんは、目を閉じかけながら「ぴっ」。

最後に信号の音だけ置いていきました。

その“「置き土産」が可笑しくて、私の方がしっかり目が覚めました。

お迎えで、保護者の知らない「外の顔」が出る

お迎えの時間、Mちゃんのお母さんが連絡帳を見ながら言いました。

「最近、家だと声が増えてきたんですけど、園ではどうですか。」

私は今日の散歩の話を、短く返しました。

「猫を見つけて『んっ』って教えてくれました。信号の音を『ぴっ』って真似してましたよ。」

お母さんは目を丸くして笑いました。

「え、うちではまだ『ぴっ』言わないです。」

私はうなずきました。

「外だと出る言葉って、あるみたいです。」

お母さんは少し安心した顔で、Mちゃんの頬をなでました。

「じゃあ、明日も“外の顔”を見せてね。」

Mちゃんは返事の代わりに、口をとがらせて「うー」。

今日いちばんの、締めの声でした。

まとめ

0歳児クラスのお散歩は、歩けなくても立派な冒険です。

ベビーカーの中で見つけた猫や、犬の鼻先や、信号の音が、喃語や手振りになって返ってきます。

その喃語は、こちらが思っている以上に「会話」になっています。

だから散歩から戻ると、眠いのに目が冴える子がいるのだと思います。

今日のMちゃんの「ぴっ」は、外の世界とちゃんとつながった証拠でした。

明日はどんな“置き土産”を持って帰ってくるのか。


0歳児クラスの散歩道は、毎日ちいさな発見でいっぱいです。

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